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今さら聞けない「トラトラトラ」のすべて|暗号の本当の意味と後世への影響

「トラトラトラ」という言葉を聞いたとき、多くの人が歴史的な出来事や、ある特定の楽曲を思い浮かべるかもしれません。

しかし、その正確な意味や、なぜその言葉が選ばれたのか、そして私たちの文化にどのように影響を与えてきたのかについて、詳しく知る人は少ないのではないでしょうか。

この記事では、「トラトラトラ」が持つ本来の意味から、その言葉が生まれた緊迫の歴史的背景、さらには後世の映画や音楽といった作品に与えた多大な影響まで、専門的な知見と豊富な資料を基に、誰にでも分かりやすく、そして深く解説していきます。

この言葉に秘められた物語を一緒に紐解いていきましょう。

 

「トラトラトラ」の本当の意味とは?

「我、奇襲に成功せり」を意味する暗号電文

「トラトラトラ」とは、1941年12月8日(日本時間)に行われた真珠湾攻撃の際に、旧日本海軍が使用した極めて重要な暗号電文です。

その意味は「我、奇襲に成功せリ」、現代の言葉で言えば「我々の奇襲攻撃は、完全に成功した」という勝利の第一報を伝える報告でした。

ここでの「奇襲」とは、単に不意を突くという意味だけではありません。

敵であるアメリカ太平洋艦隊が、有効な反撃態勢をまったく整えられない無防備な状態にあることを指します。

この一報は、攻撃隊が敵に一切察知されることなく、作戦が最も理想的な形で開始されたことを味方全軍に伝えるための、決定的な合図だったのです。

この電文の成功が、その後の攻撃の行方を大きく左右することになりました。

何ヶ月にもわたる極秘の訓練と、太平洋を横断する隠密航海のすべてが、この一瞬の成功のためにあったと言っても過言ではありません。

この報告は、作戦に関わる全ての者たちの緊張を解き放ち、士気を最高潮に高める起爆剤となりました。

 

なぜ「虎(トラ)」が使われた?言葉の由来を解説

なぜ数ある言葉の中から「トラ」が選ばれたのでしょうか。

これには複数の説がありますが、作戦に深く関わった航空乙参謀の吉岡 忠一(よしおか ちゅういち)さんなどの証言から、最も有力とされているのが「突撃せよ、雷撃機」という命令を略した符号である、という説です。

具体的には、「ト」「突撃せよ」を、「ラ」が目標である敵艦に魚雷を命中させる「雷撃機」を意味し、これらを組み合わせて「トラ」という簡潔な符号が作られたとされています。

当時の作戦計画では、奇襲が成功した場合は、絶大な攻撃力を持ちながらも防御面では脆弱な雷撃機を真っ先に突入させ、最大の戦果を挙げることが定められていました。

雷撃機は低空を直線的に飛行する必要があるため、敵の対空砲火の格好の的になりやすいのです。

だからこそ、敵が迎撃準備を整える前に攻撃を仕掛ける必要がありました。

「奇襲成功」を意味するこの報告は、事実上、最も効果的で、かつ最も危険を伴う雷撃隊に対する総攻撃開始の合図でもあり、作戦の進行を決定づける極めて重要なものでした。

 

「ト」と「ラ」のモールス信号が関係しているという説は本当?

「トラトラトラ」という言葉の伝達には、音声ではなくモールス信号が使われました。

これは音声による無線通信が傍受され、内容を解読されるリスクを避けつつ、悪天候や長距離でも比較的確実に情報を伝達するための、当時最も信頼性の高い手段でした。

モールス信号において、「ト」「・・─・・」「ラ」「・・・」という符号で表現されます。

攻撃隊の通信兵は、この符号を三度繰り返して送信することで、「トラトラトラ」というメッセージを伝えました。

これは「トラ連送」とも呼ばれています。

このように、言葉の選定には、覚えやすさや送信のしやすさといった通信上の合理的な理由も含まれていたと考えられます。

単なる言葉遊びや偶然の産物ではなく、一刻を争う戦場の状況下で、誤解なく意図を伝えるための機能性を最大限に重視して選ばれた、洗練された暗号だったのです。

この重要な通信を正確に打電した通信兵の技術と冷静さも、作戦成功の陰の立役者と言えるでしょう。

 

歴史的背景:真珠湾攻撃と「トラトラトラ」

いつ、誰が、どこへ発信した言葉?

この歴史に刻まれる暗号が発信されたのは、日本時間の1941年12月8日未明、現地ハワイ時間では12月7日の午前7時53分のことでした。

発信者は、350機以上からなる真珠湾攻撃隊の空中指揮官を務めた、淵田 美津雄(ふちだ みつお)さんです。

彼は海軍兵学校を優秀な成績で卒業したエリートであり、卓越した操縦技術と冷静な判断力で部下から厚い信頼を寄せられていました。

淵田 美津雄さんは、自身の搭乗する九七式艦上攻撃機の後部座席から、眼下に広がる日曜の朝の静けさに包まれた真珠湾の光景を確認し、奇襲の完全な成功を確信しました。

そして、通信兵である水木 徳信(みずき とくのぶ)一等飛行兵曹に命じてこの電文を発信させたのです。

このメッセージは、ハワイ沖に展開する機動部隊の旗艦、航空母艦「赤城」に座乗する南雲 忠一(なぐも ちゅういち)司令長官のもとはもちろん、約6,000キロ離れた広島湾に停泊する連合艦隊旗艦「長門」の山本 五十六(やまもと いそろく)司令長官にも、ほぼ同時に受信されました。

 

真珠湾攻撃における「トラトラトラ」の役割と重要性

「トラトラトラ」の電文が持つ真の重要性は、単に攻撃の成功を知らせるという表面的な意味に留まりませんでした。

この報告は、作戦計画の根幹をなす「奇襲か、強襲か」という二者択一の判断を下すための、現場からの決定的な情報でした。

作戦計画では、もし「奇襲」が成功した場合は、対艦攻撃の主役である雷撃機を第一波として突入させ、停泊中の戦艦群に致命的なダメージを与える手はずとなっていました。

しかし、もし敵に察知され、激しい対空砲火が待ち受ける「強襲」となった場合は、まず急降下爆撃機が敵の対空陣地や航空基地を叩いて無力化し、その後に雷撃機が突入するという、より損害を覚悟した手順に変更される予定でした。

「トラトラトラ」の受信は、作戦が最も効果的かつ損害の少ない形で開始されたことを全軍に証明し、その後の攻撃を円滑に進めるための重要な鍵となったのです。

この報告に先立ち、全軍突撃を意味する「ト」の連送信号も発信されており、「トラトラトラ」は作戦が次の段階へ移行したことを示す合図でもありました。

 

「ニイタカヤマノボレ」との違いは何?

真珠湾攻撃に関連する暗号として、「ニイタカヤマノボレ」も非常に有名ですが、「トラトラトラ」とはその目的と性格が全く異なります。

「ニイタカヤマノボレ一二〇八」は、攻撃予定日の数日前である12月2日に発信された、「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の、大本営から前線部隊へ下された戦略的な作戦発動命令でした。

当時日本領だった台湾の最高峰(新高山)の名を借りたこの命令は、これから太平洋戦争という国家の命運を賭けた戦いを始める、という大枠の決定を伝えるものです。

これはまさに、戦争という巨大な機械のスイッチを入れるための言葉でした。

それに対して「トラトラトラ」は、攻撃当日のまさにその瞬間、最前線の指揮官から司令部へ送られた、作戦が具体的にどのように始まったかを報告する戦術的なリアルタイムの電文です。

つまり、前者が「これから戦え」というトップダウンの「命令」であるのに対し、後者は「計画通り、奇襲に成功した」というボトムアップの「報告」であり、両者には明確な違いがあるのです。

一つが戦争の開始を告げる鐘の音だとすれば、もう一つは戦端が開かれた現場からの第一声と言えるでしょう。

 

映画『トラ・トラ・トラ!』と作品における意味

映画のあらすじとタイトルの関係性

1970年に公開された映画『トラ・トラ・トラ!』は、真珠湾攻撃という歴史的事件を、日米双方の視点から描いた画期的な戦争大作です。

この映画の前半では、開戦に至るまでの日米間の外交交渉の決裂、情報戦の失敗、そして両軍の着々とした戦争準備の様子が、緊迫感あふれるドラマとして描かれます。

そして後半、ついに攻撃が開始され、歴史が動くその瞬間に発せられるのが、タイトルでもある「トラトラトラ」の電文です。

このタイトルは、映画のクライマックスである真珠湾への奇襲攻撃そのものを力強く象徴しています。

観客は、前半で丁寧に積み重ねられた歴史の歯車が、この一言を合図に大きく動き出す様を目の当たりにすることになります。

まさに、歴史的な瞬間を克明に再現するという、この作品の崇高な意図を明確に示しているのです。

この電文が発信されるシーンは、日本側の計画が成就した歓喜の瞬間であると同時に、アメリカ側にとっては悪夢の始まりを告げる合図として描かれ、観る者に強烈な印象を残します。

 

撮影中の有名な「事故」やこだわりのエピソードはあった?

この映画が今なお高く評価される理由の一つに、CG技術が存在しない時代に実現された、驚異的なリアリティへのこだわりがあります。

例えば、撮影には実物大の戦艦「長門」や空母「赤城」の巨大なオープンセットが日本で建設されました。

アメリカ側でも、実際に退役した空母を撮影に使用し、アメリカの練習機AT-6などを改造して、零戦や九七式艦上攻撃機といった日本軍機を数百機規模で再現しました。

特に有名なエピソードとして、真珠湾の地形に似た鹿児島湾で行われた、雷撃機による超低空飛行訓練の再現シーンが挙げられます。

真珠湾は水深が浅く、通常の航空魚雷では海底に突き刺さってしまうため、浅海面でも使用可能な特殊な魚雷の開発と、それを投下するための極めて高度な操縦技術が不可欠でした。

映画ではこの史実が忠実に描かれており、その徹底したこだわりが、他の戦争映画とは一線を画す圧倒的な迫力を生み出しています。また、日本側の監督として当初、黒澤 明(くろさわ あきら)さんが就任したものの、製作方針の違いから降板したという逸話も、この大作の製作がいかに困難を極めたかを物語っています。

 

今も語り継がれる日米合作映画としての評価

『トラ・トラ・トラ!』は、戦争を始めた日本の視点と、不意打ちの攻撃を受けたアメリカの視点の両方を、どちらか一方を断罪することなく、極めて公平かつ客観的に描いたことで、戦争映画の歴史において金字塔的な作品と位置づけられています。

かつて敵対した両国が共同で歴史を検証し、映画として製作するという試み自体が前代未聞であり、その誠実な姿勢は公開から半世紀以上が経過した今なお、多くの映画ファンや歴史研究者から絶大な支持を得ています。

単なる娯楽的なスペクタクル映画ではなく、戦争という悲劇がいかにして起こるのかを多角的に描き出した、歴史に対する深い洞察に満ちたアプローチこそが、この作品を不朽の名作たらしめているのです。

在し、図書館などで関連資料を探してみるのも良いでしょう。

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